大阪アドプトリバー
千代崎
水都再生で木津川の河川敷が整備される時、自然作家である石原氏が中心となり、地域と行政が協議して子供達の故郷作りとして果樹を植えピオトープを作る。
それから10年、行政のお金に頼らず、町会費を使い、丁寧に維持管理し、蜜柑や山桃がたわわに実り豊かな故郷になった。一般的な都市の木々と違い果樹栽培をすることで豊かな四季を感じるリバーサイドにしている。夏蜜柑が実り、酸が抜けたころ、たくさんの地元園児たちを招いて蜜柑狩りを実践。
また、全国各地からお国自慢の石を寄贈してもらい、石は花壇に溶け込んで、お国自慢をしている。子供への情操教育とまちづくりを地域が一体となって活動・実践している。
寺西興一
(国登録有形文化財建造物 所有者)
昭和20年大阪市阿倍野区生まれ。
マンションへの建替えを計画していた昭和7年築の老朽化した木造2階建て4軒長屋を、国の登録文化財として残されました。それは、長屋として全国第1号の登録でした。
退職金を注ぎ込み、宮大工を起用して建設当初の姿を再現、「長屋が大好き」という飲食店に賃貸し、賃貸マンションに建替えるより2倍の収益があることなどを公表、マスコミにもとりあげられました。
平成17年全国で初めて結成された「大阪府登録文化財所有者の会」の事務局長に就任。また、その長屋から起こった地域催事「どっぷり昭和町」の会長も務め、戦前の住文化の代表である長屋の魅力を伝え、再生に貢献されています。
ビヨン・ハイバーグ
1969年カナダ生まれの男性、ビヨンさん。23歳で来日し、大阪が大好きに。
2003年堺の包丁の切れ味に魅せられ、包丁メーカで9年間勤務。2012年、包丁職人技のすごみが伝わっていないと考え、新世界に包丁専門店「TOWER KNIVES OSAKA」を開店。日本各地からの包丁を扱うが堺ものはそのうち半数以上を占める。
通天閣見物に来た客に、包丁の使い方の実演をしたり、刃の研ぎ方を解説して和包丁の普及に尽力されている。
その成果で東京スカイツリタウンのソラマチにも2店舗を出店。今年秋には新世界の店舗を近所に拡大移転予定。
「和包丁の魅力を世界に広めたい」と活動している。
チャンバラ合戦-戦IKUSA-
「チャンバラ合戦-戦IKUSA-」とは、スポンジ製の刀で相手の腕につけた命(印)を落としあう、年齢性別を問わず誰もが笑顔で楽しめる。人呼んで参加型合戦エンターテイメント!「世界一平和な合戦」を目指し、全国各地で合戦イベントを行っている。
完全オリジナルで武器やルールも考えて大阪城公園などで始まったイベントがニュース番組などでも取り上げられ、全国各地で開催されるようになり、江戸(東京)支部まで設立。地域活性化のイベントとして、老若男女のコミュニケーションツールとして実績を上げ、いまでは海外で開催も!
NPO法人ゼロワンが運営。スタッフは20代~30代。若い力が大阪から世界へ新しいカタチを作り上げている。
泉原一弥
車の屋根全面にスナゴケと言う苔を貼り付け、経営するクリーニング店の配達に使っている。
「屋根に苔を着けた車」なので、「屋根苔着車」で、「やぁね、こけちゃっかー」と命名。その目的は地球温暖化の防止!仕事で市街地を笑わせながら、走っている。
時々、住民から「これはなんですか」声をかけられると、ここぞとばかり説明して、屋根から、スナゴケをむしりとり、その人に渡す。その行為から、「アンパンマン」の異名もある。
深江菅細工保存会
江戸時代お伊勢参りの多くの旅人が買い求めたという深江の菅笠、菅細工の製作技術を後世に守り伝えるため活動。
「第61回伊勢神宮式年遷宮御笠奉製に際し、地元の女性6人が集まり、「笠縫女のつどい」としたのが始まり。その後「深江菅細工保存会」として名称を新しくし、平成2年今上天皇のご即位の御笠蓋奉製にも従事。
地元の深江小学校の4年生を対象に毎年菅細工講習会を開催。
菅田を復活させ、「深江菅田保存会」も発足。
野球界番付社
代表の生死をさまよう大病による存続の危機を乗り越えて、平成5年以来日本初となる「日本野球界番付」を発表、昭和世代の子供たちを熱中させた大相撲とプロ野球を融合させた。
全国から集まるマスコミ関係者やお笑い芸人、野球ファンなどによる「野球界番付編成会議」を毎年開催。前年度のプロ野球全選手の成績を星取表に換算して新番付を発表。
2016年度版は、行事・木村善之助氏により相撲そっくりの番付表が作成されている。
周囲からは「勝手に番付を決めている」ともささやかれるが、実は「番付編成要領」も定められており、大相撲界のルールにのっとった厳密なルールのもとに番付編成を行っている。なんと登録支配下の全選手を掲載しているこだわりよう。
松田順司
松田順司さんは、西成区生まれ。
立ち呑み「難波屋」の料理人をもつとめながら、平成19年に「西成ジャズ」を創設。松田さん自身はプロドラマーとして30年のキャリアを持つ。
ライブに参加するミュージシャンは関西エリアの一流ミュージシャン、累計60名を超える。
地元の労働者が、気軽にライブに立ち寄れる様にチャージは取らず、「投げ銭」の形をとった。敷居が低く、フトコロ具合で参加できるジャズライブが評判をよび、ライブを続けて、今年で9年目。ライブ会場も「難波屋」のほかに美味しいおでんの、「成田屋」そして、常設ライブハウス「ドナ・リー」は2周年を迎えた。
最近は口コミ効果やマスコミ報道で、広く関西エリアから、ジャズファンが、ライブに参加している。
雑誌 上方芸能
1968年の創刊以来、上方の芸能全般を取り上げる雑誌として「能・狂言・歌舞伎・文楽・日本舞踊・上方舞・邦楽・現代演劇・歌劇・落語・漫才」など幅広いジャンルを取り扱ってきたが、本年5月に惜しまれつつ終刊となった。
以下「終刊の挨拶」~『上方芸能』は今号をもって終刊を迎える。48年間に200号を刊行することができたのは、創刊以来、多くの皆様に支えられ、育てていただいたお蔭だ。長年にわたるご支援とご協力に改めて深く感謝申し上げる。(中略)上方芸能は止まることなく未来に向かって続いていく。これからもさまざまな方法や思いで応援することをお約束し、最後のご挨拶とさせていただく。
新規会員募集中!
ご質問・ご相談などありましたら、お気軽にお問い合わせください。
お問い合わせはこちら